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もうだいぶ経ってしまいましたが、8/6キサでのpeaceセッションライブ、お越しいただいた皆さん、一緒に共演したアーティストの皆さん、主催の比嘉さん、義人さん、ありがとうございました。この日は、本当に特別な時間の流れるイベントだったと思います。
ライブとも、平和の集会やシンポジウムとも違う、違うけど全て内包している様な、祈りの時間。それは、きっとこのイベントに寄せる皆さんの思いが、それぞれ違う形を持ちながら一致していてそれを会場が共有出来たからではないでしょうか。
上の写真は、今回の主催の一人、トランペットの義人さん、僕の歌と詩の朗読をコラボした折り紙作家の智子さんです(写真右は、いくさんの描いてくれたこの日に感じたレポートイラスト、下の写真は、CDを買ってくれた方と、おまけのモノノケポスカ)義人さん、智子さん、お二人とも僕のヒカリニカワルという歌に触れて、その歌の元になったお話をしてくださった亮子さんに会いに長崎まで行ってくれました。そこで聞いたこと、感じたことをそれぞれ持ち帰ってこの日のイベントに思いを込めて表現してくれました。
思えば、この日の出演者の表現は、そんな自分では無い誰かの思いを伝えるものばかりで、それがこの日を特別な時間にしていたのだと感じます。
イベントの呼びかけ人である比嘉秀子さんの朗読は、いつでも沖縄の心を伝える語り部としてのそれでしたが、この日の出演者全員が、そういう意味での語り部だったと思います。言葉は、いつでもあたなとわたしの関係の中にしか表れないものです。その関係の中にしか表れないものは、言語を超えた言葉なのです。
あなたとわたし。花とわたし。虫とわたし。
平和とは、自分ではない誰かの事を思うこと
命の尊厳を思うこと。
わたし達一人ひとりは、そんな語り部にあの時なっていたのではないでしょうか。
レオンさんは、島唄の心を、しろさんは、縄文の心を、アイヌの知恵と心を、僕と智子さんは、広島の禎子さん、長崎の亮子さんの物語を、比嘉さんは、沖縄の心を、戦争の悲しみを、義人さんは、戦争後のあるアメリカ人の日本人に対する気持ちや慈愛を、修さんは、映像で人類の冒してきた過ちの数々を悲痛と皮肉を込めて、ゴッタゴッタさんは、中東アラブやジプシーの生活や音楽を、皆さん一人ひとりの表現に乗せて語ってくれたのだと思います。正にこのイラストの様に、一つひとつピースがpeaceの名の下セッションしてチャンプルしてガジュマルの木の様に絡みあった、そんな時間だったと思います。
改めてこのイベントの最初の呼びかけ人となった比嘉さん、そしてその比嘉さんの呼びかけに快く応え、場所から人から集めて奔走してくれた義人さんにこの場を借りてお礼を言います。集まってくれた皆さん、お客様、ありがとうございました!
平和は、わたし達の手の中にあります。
決して手放さないように大事にしていきましょうね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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